RPGツクール95作再公開の経緯

手塚治虫・1961年
昨年春ごろから、手塚治虫先生の作品解説や
ドキュメンタリーの動画をよく観ていて、
あの”マンガの神様”ですらスランプもあったし、
怪作も結構な数 描き散らかしてたりするんだな~と知り、
(作品の内実で遠く及ばないとはいえ)
私の過去作も別に、無かったことにしなくていいんじゃないか、
隠し続けるのも辛いし、再公開しちゃおうかと思い始めたのが夏。
とはいえ、手元には何一つ残っておらず。
とはいえ、手元には何一つ残っておらず。
2002年に活動休止する際、全情報を削除したいとVectorさんへ問い合わせ、
「公開停止してもサーバーには残る」というレスを頂いていたので、
「規約上、ドキュメント内の連絡先が無効なものは再公開できません、
有効な連絡先を記したものを一旦再アップして下さい」
という旨の御返事。
有効な連絡先を記したものを一旦再アップして下さい」
という旨の御返事。
別にゴネてまで再公開したい、とは思っていなかったので
そのまま4ヶ月ほど過ぎ、12月中旬。
ソフトウェアも落とせたので「もしや」と思い、
忌まわしい記憶を蘇らせたくない気持ちと戦いつつ、
自サイトのURLを入れてみると!
かなり末期の、腐りかけの状態のだが
あ~、こんなのもやってたかもな~というページが出てきて、
ソフトも、おそらく破損していないと思われるものが落とせた。
(最初期の、HSP製ミニゲームは落とせず)
軽く動作チェック、そして(キロバイト単位の容量を気にする時代でもないので)
タイトル画面を追加、他ちょっとだけ手直しして無事再公開。
自サイトのURLを入れてみると!
かなり末期の、腐りかけの状態のだが
あ~、こんなのもやってたかもな~というページが出てきて、
ソフトも、おそらく破損していないと思われるものが落とせた。
(最初期の、HSP製ミニゲームは落とせず)
軽く動作チェック、そして(キロバイト単位の容量を気にする時代でもないので)
タイトル画面を追加、他ちょっとだけ手直しして無事再公開。

そして、追加したロゴにも ベレー帽のあの人の影響が・・・?
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※「ちょっと思うところ」とは
12月中旬というのは・・・そう、このブログの最初期に書いた
「ショートスリーパー化計画」の実行中だったのであります。
開いた早朝の時間に、JavaScriptの勉強、ないしブラウザゲーが作れる
ツールの習得でもしようかなと思っていて、
そのツールの一つを動かすために必要なソフトが公開終了してしまっており
(別のスクリプト言語として独立していた)
それをどうしても落としたくてarchiveに足を踏み入れ、
そのついでに自分のサイトも掘り返してみたというわけなのです。
ショートスリーパー化は頓挫し、むしろ暑さが長引いて寝苦しい中、
一時間でも多く寝たかった2023年でしたが(^^;)
おかげで旧作を再公開できたということで、意義はあったのかも知れません。
(別のスクリプト言語として独立していた)
それをどうしても落としたくてarchiveに足を踏み入れ、
そのついでに自分のサイトも掘り返してみたというわけなのです。
ショートスリーパー化は頓挫し、むしろ暑さが長引いて寝苦しい中、
一時間でも多く寝たかった2023年でしたが(^^;)
おかげで旧作を再公開できたということで、意義はあったのかも知れません。
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